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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)13855号 判決

原告

野口ヤエ子

右訴訟代理人

大森鋼三郎

福地明人

被告

富士重工業株式会社

右代表者

横田信夫

右人訟代理人

成富安信

畑中新造

主文

一  原告が被告に対し昭和四四年一〇月七日付譴責処分の付着しない労働契約上の権利を有することを確認する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

請求原因〈中略〉

三 〈中略〉

3 被告の従業員就業規則(以下「就業規則」という。)には、次のとおりの定めがある。

第六九条 懲戒は譴責、減給、出勤停止及び懲戒解雇の四種とする。

一  譴責 始末書を提出せしめ将来を戒める。

(二は省略)

三  出勤停止 始末書を提出せしめ一〇日以内出勤を停止する。

四  懲戒解雇 予告期間を設けず即時解雇する。

(第二項は省略)

〈中略〉

(本案前の抗弁)〈中略〉

二 苦情処理手続の存在

1 被告と原告の所属する富士重工業労働組合(以下「組合」という。)とは、人事上の取扱い等に関する組合員の苦情を迅速、公正に処理するため、労働協約によつて二審制の苦情処理手続を設けており(労働協約書第二八条ないし第三五条)、組合員の苦情は、この手続によつて解決がはかられる。第一審たる事業所苦情処理委員会は事業所ごとに設置し、被告および組合を代表する各五名以内の委員で、第二審たる中央苦情処理委員会は被告および組合を代表する各六名以内の委員で、それぞれ構成される(同第三一条、第三二条)。そして、苦情申立ての当事者双方は、事業所苦情処理委員会の裁定について中央苦情処理委員会に対し苦情申立てをする場合を除き、右各委員会の裁定に拘束されるのである(同第三四条第二項、第三五条第三項)。〈後略〉

理由

一被告が自動車、鉄道車両、航空機等ならびにその部品の製造、修理および販売を主たる業とする株式会社であること、原告が昭和四一年四月一日被告会社に雇用され、現在産機部業務課に勤務していること、被告が原告に就業規則第七〇条第一号、第九号に該当する行為があつたとして昭和四四年一〇月七日原告を譴責処分に付したことは、当事者間に争いない。

二本案前の抗弁について

1譴責処分の対着しない労働契約上の権利を有することの確認請求について

本件訴えは、原告が被告に対し譴責処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認を求めるものであるが、原告が被告に対し労働契約上の権利を有することは当事者間に争いないので、その実質は譴責処分の不存在(無効)の確認を求めることに帰着する。

就業規則第六九条に原告主張のとおりの定めがあることは当事者間に争いない。右規定によれば、譴責処分は、従業員から始末書を提出させて将来を戒める懲戒方法であるから、その性質は、権利または法律関係に属しない単なる事実行為にすぎない。もとより、確認の訴えは、権利または法律関係の現在における存否の確認について許され、単なる過去の事実行為の存否の確認については許されないのが原則である(その例外は証書真否確認の訴えである。)このことは、現在の紛争を解決するためには、現在の法律関係を明確にすることがもつとも有効にして直接的であるという訴訟制度の目的にはい胎するところである。しかし、現在の法律関係と過去・将来の法律関係ないし事実行為とを区別し、この大前提から現在の法律関係だけが確認訴訟の対象となり、それ以外のものは一切その対象とならないという結論を導き出すことを当然とするものではない。論理はむしろ逆である。現在確認訴訟で解決すべき利益が存するかどうかの判断が先行し、その要件が充足される限り、現在の法律的紛争の存在を肯定すべきなのである。ある事実行為(たとえば法律行為)の存否が原因となつて原告と被告との間に紛争が生じているため、その紛争を解決する必要はあるが、紛争の内容を具体的に特定できないために、一定の権利または法律関係の存否の訴えを提起することが困難である場合や、直接に紛争のかなめをなす法律行為の効力の確認の判決をした方が、争いのある全法律関係の抜本的な解決に役立つこともある。このような場合には、事実行為であつても、確認訴訟の対象として適法であると解すべきである。それが現在の法律関係の確認を求めるものではないから不適法であるというのは、形式論であつて確認訴訟の機能を曲解するものである。

本件処分は、使用者たる被告が従業員たる原告に対してなした懲戒処分であつて、原告の意に反するものである。たとえそれが単なる過去の事実行為であつても、本件処分を受けたことによつて原告の現在の権利または法律関係になんらかの影響があり、しかも、直接にその処分の不存在(無効)を確認することが原告と被告との間にある紛争の解決のためにもつとも有効にして適切であり、逆に権利または法律関係の確認を求めさせるのが無理であつて、しかもそれがう遠な方法と認められるような場合には、例外として原告に本件処分の不存在(無効)の確認、すなわち本件訴えにおいては、譴責処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認を求めるについて法律上の利益があるものと解すべきである。

被告においては、年二回、夏と冬に賞与が支給されるが、賞与の中には、被告が査定する勤務成績に応じて一定の基準により支給される部分(成績配分)が含まれていること、その基準によれば、原告は、昭和四四年冬の賞与支給の際、成績配分としてその勤務成績に応じて等級3・A四、〇〇〇円、B三、三〇〇円、C二、五〇〇円のいずれかの支給を受けられるはずであつたこと、しかるに、原告は、同年冬の賞与支給の際、本件譴責処分を受けたことが理由となつて成績配分の支給を全く受けられなかつたし、現在までその支払を受けていないことは、当事者間に争いない。

右の事実によれば、原告が昭和四四年冬の賞与支給の際に通常ならば受けられるはずの成績配分の支給を全く受けられなかつたのは、本件譴責処分を受けたためである。そして、原告は、本件処分が無効であるから、原告は被告に対して成績配分に応ずる賞与請求権があると主張し、被告は逆に本件処分が有効であるから原告には右賞与請求権がないと主張しているところに現在の法律的紛争があり、しかも原告としてはその請求権の存在の確認を求める利益のあることは明白である。しかし、賞与の中の成績配分の額は、被告が原告の勤務成績を査定して、原告を等級3・ABCのいずれかに認定するという行為のない限りその金額を知ることができない性質のものである。したがつて原告が被告に対し本件処分の無効を前提として直接に成績配分に応ずる金額分の賞与請求権の存在確認の訴えを提起することは、請求の内容をなす金額ないし具体的権利が特定しないという意味で困難である。そうすると、この紛争の解決のためには、本件処分の不存在(無効)を確認することがもつとも有効にして適切であると考えられる。原告は、伝統的な通説の立場を尊重して、単刀直入に本件処分の無効確認を求めることを避け、本訴請求の趣旨を掲げたものと善解できるから、本件訴えは正に確認の利益があるというべきである。

2苦情処理手続の存在について

被告と原告の所属する組合とは、人事上の取扱い等に関する組合員の苦情を迅速、公正に処理するため、労働協約によつて二審制の苦情処理手続を設けており(労働協約書第二八条ないし第三五条)、組合員の苦情は、この手続によつて解決がはかられること、第一審たる事業所苦情処理委員会および第二審たる中央苦情処理委員会の各委員の構成等(同第三一条、第三二条)、右各委員会の裁定の拘束性(同第三四条第二項、第三五条第三項)および原告が被告主張のとおり右各委員会に対し本件処分の撤回を求める旨の苦情申立てをしたが、いずれも申立てを棄却する旨の裁定を受けたことは、当事者間に争いない。

〈証拠〉によれば、原告からの本件処分の撤回を求める旨の苦情申立てを裁定した第一審たる本社苦情処理委員会の被告を代表する委員は、被告が指定した池田・津田両人事部副部長、中里同部人事課長、佐野同部研究課長および森下同部人事課員の五名であり、第二審たる中央苦情処理委員会の被告を代表する委員は、被告が指定した右五名および大田人事部長であつたこと、これらの委員は、すべて原告がその撤回を求めて苦情申立てをした本件処分を決定するについて直接に関与した者であり、被告においては、譴責処分などを決定する実質的な権限は社長から人事部長に委任されていることが認められる。また、中里人事部人事課長および森下同課員が後に本件処分事由となつた昭和四四年八月二五日の原告に対する事情の聴取を行なつた者であることは、当事者間に争いない。

右事実によれば、本社苦情処理委員会および中央苦情処理委員会の構成員の一部は、被告によつて指定された被告会社の社員であり、現に本件の場合被告を代表する委員は、全員が被告会社人事部に所属する被告会社の従業員であり、かつ、苦情申立ての対象たる本件処分を決定するについて直接に関与した者であり、また、右各委員会の委員のうち二名は、後に本件処分事由となつた昭和四四年八月二五日の原告に対する事情の聴取を行なつた者である。

民事訴訟法の規定する仲裁手続の適用ないし準用があるというためには、仲裁委員会を構成する委員が処分当事者以外の第三者でなければならない。裁定を当事者または当事者たる団体(本件においては被告会社)の機関または団体員に任せる苦情処理手続は、仲裁人の第三者たることの要件を欠くから、仲裁手続としての効力を生じない。

ところが本件における苦情処理委員会の構成員の一部は、処分の当事者である被告会社の従業員であるから、本件苦情処理手続を民事訴訟法第七八六条以下に定める仲裁手続と解することはできない。

したがつて、たとえ苦情処理手続により処理された事案であつても、本件訴えを提起することはなんら妨げられない。

三本件処分事由の存否について

1原告に対する事情の聴取に至るまでの経過

被告会社電話交換手の藤井都が、昭和四四年七月下旬ごろ従業員に対し原水爆禁止の署名を求め、さらに同年八月上旬ごろ従業員に対し原水爆禁止運動の資金調達のために販売するハンカチの材料を渡してその作成を依頼するとともに、原水爆禁止の署名を求めたことは、当事者間に争いない。〈証拠〉によれば、藤井が初めに行つた場所はスバルビル内の被告会社電話交換室であり、次の場所は自己の勤務場所である新宿ビル内の電話交換室であること、新宿ビル内の電話交換室では、藤井は、実働時間外で休憩室にいた従業員金子美枝子に対し、原水爆禁止の署名を求めたが、同女が藤井の求めに応じて署名をしたのは、実働時間に入つた直後で勤務に従事するため、同女が電話交換台に着席したときであつたことが認められる。

また、被告会社経理部財務課勤務の小泉峯子が、同年八月二〇日ごろ、自己の就業時間中、上司に無断でその職場を離れて事務管理部へ行き、就業中の従業員に対し前記趣旨のハンカチを販売したことは、当事者間に争いない。

〈証拠〉によれば、(一)被告会社人事部は、同年八月二〇日ごろに小泉峯子の前記行為の一部を知り、勤務時間中における服務規律違反として予備調査を行なつたうえ、同月二二日、被告主張の従業員九名から事情を聴取したところ、藤井都の前記行為も知つたので、翌二三日、藤井および小泉からも事情を聴取したこと、(二)その結果、被告は、藤井および小泉の行為が、就業規則第一八条第三号の「職場の秩序、風紀を乱す行為をしないこと」第五号の「他人の業務を故意に妨害しないこと」第九号の勤務中上長に無断で職場を離れないこと」第二三条「従業員は会社構内において会社の業務に関係のない集会、演説、放送、掲示、貼紙その他これに類する行為をするときはあらかじめ会社に届出て許可を受けなければならない」との規定に違反し、就業規則第七〇条が譴責または減給の懲戒処分事由として定める同条第四号の「社内の風紀秩序をみだし又は従業員の体面を汚すような行為をしたとき」、第六号の「労働時間中みだりに職場をはなれ又は著しく自己の職責を怠る等怠慢の行為があつたとき」との規定に該当するものと判断したこと(就業規則の右各規定が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いない。)、(三)前記の事情の聴取から、藤井が原告および溝口敏子(スバルサービス部)に対してもハンカチの作成を依頼したことや長谷川隆一(人事部付)に対し集まつた資金カンパの金を渡したこと、原告が森裕子(産機部)および長塚京子(機械事業部)に対しハンカチの材料を渡してその作成を依頼したこと等の事実もわかつたこと。(四)そこで、被告会社人事部は、同月二五日、原告から事情を聴取し(この事実は、当事者間に争いない。)、引き続き長谷川および溝口からも事情を聴取したことが認められる。

2原告に対する事情の聴取

原告に対する事情の聴取は、中里人事部人事課長、森下同課員、土橋同部労政課長の三名(ほかに書記として坂井労政課員)が、八月二五日午前一〇時ごろから午前一一時三〇分ごろまでの間、人事部会議室で行なつたこと、その際、右三名は、原告に対し、ハンカチの作成者および作成依頼者の氏名、その作成枚数、原水爆禁止の署名の依頼およびハンカチの作成、販売に関する行為者の氏名、その時間、場所等を具体的に尋ねたこと、これに対し、原告は、ハンカチを作つたことがある旨を答えたが、その他の質問に対してはほとんど全く答えなかつたことは、当事者間に争いない。

〈証拠〉によれば、(一)右事情聴取の際のおよその経過として、原告は、森下人事課員からハンカチを示され「これを知つていますか」と聞かれて「知つています。」、「あなたも作りましたか。」と聞かれて「作りました。」「だれに頼まれましたか。」と聞かれ、しばらくして「藤井さんに頼まれました。」とそれぞれ答えたが、次に「何枚、作りましたか。」と聞かれて「わかりません。」と言い、「大体のところでいいのですよ。」と言われても沈黙して答えず、「原水禁富士重工内実行委員会とはどういうものですか。」と聞かれて「どうして、そういうことを聞くのですか。」と反問し「他の従業員で就業規則違反があつたので、実態を調べる必要があるんですよ。」と言われたが、「答える必要がありません。」と言つて返答を拒否し、その後は森下らからいろいろ聞かれたり、また、答えるように説得されてもほとんど答えなかつたこと、(二)その際、原告は、森下らから第一五回原水禁世界大会富士重工本社実行委員会のメンバー、賃金カンパと署名の集計状況についても聞かれたこと、(三)また、原告は、森下人事課員から原告が森裕子および長塚京子に対しハンカチの作成を依頼したかどうかについても聞かれたが、同課員の話から被告ではすでにその事実があることを知つており、しかも原告が森らに対しハンカチの作成を依頼したのが休憩時間中であることもわかつているとのことであつたので、「なんで、そのようなことを聞く必要があるのですか。」と反問して答えなかつたことが認められる。

3事情の聴取に対する原告の協力義務の存否について

企業は、個々の労働者から個別に提供される労働能力を有機的に結合し、これを統合することによつて運営される。雇用契約の締結により、使用者は業務を円滑に遂行するため、労働者から提供される労働力を配分して、その効率的な運用のためにこれを指揮監督する権限を有し、労働者は、これに対応して企業組織の中に組み入れられ、その労務提供の時間、場所、方法等について使用者の発する必要な指揮、命令に従うべき義務を負う。

企業秩序は、多数の労働者を擁する企業の存立、維持のために必要な秩序であるから、使用者は、企業秩序が乱されることを防止するとともに、もし企業秩序に違反するような行為があつた場合には、その違反行為の態様、程度等を調査して違反者に対し必要な業務上の指示を与えたり、あるいは業務命令を発し、また、就業規則等に基づき懲戒処分を行なうこと等によつて乱された企業秩序を回復、保持すべき必要がある。他方、労働者も、雇用契約の履行として労務を提供するについては、企業秩序維持のため使用者の発する必要な指揮、命令に従うべきことはもとより、企業秩序を乱すような行為をしてはならないし、後記のような条件のもとにおいては、使用者による企業秩序違反行為の調査に協力すべき義務を負う場合もある。就業規則第一七条は「従業員は上長の指示に従い上長は従業員の人格を尊重し互に協力して職場の秩序を守り、明朗な職場を維持して作業能率の向上に努めなければならない。」と規定し、さらに第一八条第一号は「従業員は秩序を維持し業務の運行を円滑にするため次の事項を守らなければならない。一、会社の諸規則、命令を守ること」と規定しているが(就業規則の右各規定が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いない。)。これらも右のような当然の事理を表現したものと解される。

以上のとおり、労働者は雇用契約の締結により使用者に対し労務提供の義務を負担し、その義務の履行過程においてのみ企業秩序の支配に服するのであつて、雇用契約およびこれに基づく労務の提供を離れて、使用者の一般的な支配に服するものではない。換言すれば、労働者は、全人格を使用者に売り渡しているのではないから、使用者に対し無定量の忠実義務ないし絶対的な服従義務を負うものではない。使用者による企業秩序違反行為の調査に対する労働者の協力義務の範囲も、この観点から自ら制約があるのであつて、この義務は、決して労働者の全行動領域にわたる広範、無制限のものではない。労働者は、その職務執行中ないし職務執行に関連して自己が直接に経験した第三者の企業秩序びん乱行為についてのみ、使用者の調査に協力すべき義務を負うにすぎないものと解するのが相当である。たとえば、労働者が職場内であつても休憩時間中にあるいは職場外でたまたま他の労働者の不都合な行為を目撃したとしても、それが目撃者たる労働者の職務とはなんらの関係もないことである限り、後日、使用者から他の労働者の行為に関して調査されたとしても、これに答えるべき義務はない。もつとも、他の労働者に対する指導、監督責任を使用者に対して負うべき立場にある管理職の場合は、問題は別である。これに反し、労働者が職場の内外を問わずその職務に関連してこれに悪影響も及ぼすおそれのある他の労働者の不都合な行為を実見したときは、労働者は、他の労働者の行為に対する使用者の調査に協力すべき義務がある。けだし、この場合における他の労働者の不都合な行為は、労働者の雇用契約の履行過程において、その完全な履行に対する一種の障害事由として発生したものである。そして、このような行為は、労働者の職務遂行に通常なんらかの悪影響を及ぼすことが予想されるから、労働者は労務提供の付随義務として、その障害事由の程度に応じて、場合によつては積極的にこれを使用者に報告する義務を負い、受動的には使用者のその点に関する調査に協力すべき義務を負うのである。被告会社の就業規則第七〇条第三号の規定する懲戒処分事由たる「他人の不都合な行為を故意にかくしたとき」とは、前記のような他の労働者の不都合な行為があつて、労働者が使用者に対しその報告義務があるのに、調査に応ずることを拒否したような場合を指すものと解すべきである。ただし、この場合においても、労働者が他の労働者の不都合な行為に自らも加担していて、使用者の調査に協力すると、自分自身にも不利益を及ぼすおそれのあるようなときは、協力義務の存在を否定すべきである。けだし、何人も自己に不利益な陳述を刑罰または懲戒処分の危険をおかして強制さるべきではないからである。

〈証拠〉によれば、原告に対する事情の聴取は、被告において主として藤井都の就業規則違反の事実関係をさらに明確に把握するため、すなわち、スバルビル内および新宿ビル内においてどの範囲にわたつて同女の服務規律違反がなされたかを詳しく調査し、就業規則違反行為の程度を知る必要からなされたというのである。しかし、その際、原告が具体的に尋ねられた事項は、ハンカチの作成者および作成依頼者の氏名、その作成枚数、原水爆禁止の署名の依頼およびハンカチの作成、販売に関する行為者の氏名、その時間、場所等のほか、第一五回原水禁世界大会富士重工本社内実行委員会のメンバー、資金カンパ署名の集計状況、森裕子および長塚京子に対するハンカチ作成の依頼の有無についてであつた。このように、原告が具体的に尋ねられた事項は多岐にわたつており、原告に対する事情聴取の目的との関連性についてはたやすく理解し難い事項が多い。原告に対する質問事項の内容は、労働者が調査に協力すべき義務を負う場合の要件たる労働者の職務執行中ないし職務執行に関連して自己が直接に経験した事項に該当すると認められるようなものではない。すなわち、藤井が就業中の原告に対し原水爆禁止の署名を求め、原告の職務執行を妨害しなかつたかどうか等を具体的に聞き出そうとするようなものではなく、むしろ原告その他被告会社従業員の一部が行なつた原水爆禁止運動の組織、活動状況等について具体的に聞き出そうとしたものである。被告のこのような事項の調査の意図がどこにあるかはとも角として、前説示したところによれば、原告には、このような被告の調査に協力すべき義務は全くなかつたものといわなければならない。

したがつて、原告が被告の原告に対する事情の聴取(調査協力命令)に対し協力しなかつたからといつて、この行為が、就業規則第七〇条が調査または減給の懲戒処分事由として定める同条第一号(第一七条、第一八条第一号違反)の「会社の諸規則通達等に違反したとき」。第九号(第三号の「他人の不都合な行為を故意にかくしたとき」を準用)の「その他前各号に準ずる程度の不都合の行為があつたとき」との規定に該当しないことはいうまでもない(就業規則の右各規定が被告主張のとおりであることは、当事者間に争いない。)。

四以上のとおり、本件処分は、なんら処分事由がないのに就業規則の適用を誤つてなされたものであるから無効であり、それにもかかわらず、被告は本件処分が有効であると主張しているのであるから、原告が被告に対し本件処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認を求める利益がある。

よつて、原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(岩村弘雄 安達敬 飯塚勝)

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